神戸大学経済経営研究所のリサーチフェロー高橋亘氏による研究論文で、現在の日本経済政策の中核を成す「物価と賃金の好循環」論に対する批判的検討を行った重要な政策提言です。本論文は、インフレ期待に依存した経済政策の問題点を理論的・実証的に分析し、インフレを伴わない賃金上昇の実現可能性を探求しています。
現状分析として、インフレが「物価高」という形で国民生活に困窮をもたらしているにもかかわらず、政府・日銀が推進する「物価と賃金の好循環」政策への疑問視が十分に高まっていない状況を指摘しています。実質賃金の継続的下落が生活水準の悪化を招いている中で、理論的にも実証的にもインフレが賃金上昇の前提条件ではないことを論証しています。
理論的枠組みとして、フィリップス曲線の解釈と政策適用の問題点を詳細に検討し、インフレと賃上げの因果関係について従来の通説に疑問を呈しています。賃金決定のメカニズムは、企業・個人の生産性や業績によって決まるものであり、インフレ自体では実質賃金の持続的上昇は期待できないとの立場を明確にしています。
政策優先順位として、インフレと賃上げの二者択一的状況においては、明確に賃上げを優先すべきであり、必ずしもインフレを先行させる必要がないことを論じています。これは現在の金融政策運営に対する根本的な問題提起となっており、政策転換の必要性を示唆しています。
具体的な賃上げ方策として、インフレに依存しない賃金上昇の実現手法について詳細な検討を行っています。企業経営における賃上げの責任を重視し、コーポレート・ガバナンス改革を通じた経営陣への賃上げインセンティブ強化の重要性を指摘しています。また、株主還元偏重から従業員還元重視への経営方針転換の必要性も論じています。
政府の役割については、政府自身が率先して行うべき賃上げ策として、エッセンシャルワーカー（医療従事者、介護職員、保育士、教員など）の処遇改善を最優先課題として位置づけています。これらの職種は社会的に不可欠でありながら相対的に低賃金に留まっており、公的部門からの賃上げが民間部門への波及効果を持つと分析しています。
研究の意義として、現行の金融政策・経済政策の理論的基盤に対する学術的批判を展開することで、政策論議の深化に寄与することを目指しています。特に、物価安定と賃金上昇の両立可能性を理論的に示すことで、従来の政策枠組みに対する代替的視点を提供しています。
本研究は、分類コードE52（貨幣政策）、E58（中央銀行）、E61（政策目標・政策設計）、E64（所得政策・物価政策）、J3（賃金・報酬・労働費用）、I3（福祉・厚生・貧困）の分野横断的な分析を行っており、経済政策の包括的見直しに向けた重要な学術的貢献となっています。